未来劇場 100年後の物語

2124年、私たち人類はどのように生きているのか。
How are we humans living in the year 2124?

アートと科学技術が物語る、100年後の未来

英語の「アート(art)」の語源は、ラテン語の「アルス(ars)」であり、さらにギリシア語の「テクネー(techne)」に由来する。「テクネー」は、古代ギリシアで尊重されていた「制作活動に伴う知識や能力」を意味し、今日の「テクニック(technique)」という語にもつながっていく。古代ギリシアにおいて「テクネー」は、芸術を含む、広く技術一般、人が生み出すものすべてを指す言葉であった。

古代の石器や車輪、中世の錬金術、産業革命による工業化、そしてコンピューターが普及した現代に至るまで、人々は時代に応じた思想や科学技術を背景に、未来を夢想し続けてきた。さまざまな形で技術と未来が共鳴し、社会を大きく変革させてきた。そうした時代背景の中でおこなわれてきたアート活動は、いつの時代にも、さまざまな表現の作品をつくり出すことを通じて、人々が未来を夢想し、未来を実現させていく原動力であった。

20世紀に登場したラジオやテレビ、そしてコンピューターといった技術の普及によって、情報伝達やコミュニケーションの環境も大きく変化した。カナダの哲学者・文明批評家のマーシャル・マクルーハンは、「メディアはメッセージである(メディアそれ自体にメッセージがある)」と主張し、メディアとは人間の身体を拡張するようなテクノロジー全般を指すものであるとした。技術の発展がもたらした新しいメディアのまわりには、常にアートと技術を融合し、アートを拡張しようとする人々がいた。現代においてもアーティストたちは、そして技術者や科学者は、互いに共鳴し、ときに自身の領域を飛び越えながら、ますます予測が難しくなった未来に向かって果敢に挑み続けている。

社会の多様性、アートの多様性、科学技術の多様性

人類の絶え間ない努力がもたらした科学技術の発展によって、よりよい未来、より肯定的な未来とはなにか、ということが考えられ続けてきた。それぞれの時代のビジョナリーと呼ばれる人々が、理想の未来を声高に発信する一方で、技術がもたらすディストピアが、社会の未来に警鐘を鳴らしてきた。サイボーグやロボット、人工知能や宇宙開発など、近未来を構想する数々の物語は、誰かを幸せにするかもしれないが、別の誰かを不幸にするかもしれない。同様に、よいだけの技術も、悪いだけの技術もない。技術は常に諸刃の剣のような存在である。

1965年、後にインテルの共同創業者となるゴードン・ムーアは、コンピューターの処理速度が倍倍に増え続けるという「ムーアの法則」を発表した。しかし社会の不確実性が増し続ける現在、かつて「ムーアの法則」の背景にあった、加速度的に進歩するテクノロジーがよりよい世界への発展をもたらす、という未来像は、もはや破綻している。技術的ユートピア、あるいは技術決定論者の未来像は、社会の揺らぎにともなってすでに過去のものとなり、私たちの前から消え去ってしまった。

1979年、フランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタールは著書『ポストモダンの条件』において、科学の正当性を担保する哲学・ナラティブを「大きな物語」と呼び、それが信頼を失った時代を「ポストモダン」と呼んだ。ラジオやテレビなどのマスメディアが世の中に浸透し、世間の人々が「大きな物語」の中で暮らしていた20世紀は確かに存在したが、2024年現在はそれも遠い過去のものとなり、分裂と分断の社会へと時代は大きく変化した。

メディア環境の多様化にともなって、今度は逆に人々は多様性を求められ、個性や自分らしさが強制される時代になった。しかしそれはまさに、大量消費社会の最終形であり、その延命処置としてのプロパガンダである。メディアは開発者すらコントロールすることができない、消費を強要するアルゴリズムが支配するようになった。アルゴリズムは無垢の悪魔として世界に広く浸透し、社会の分裂や分断さえも覆い隠してしまっている。

価値観の多様化という常套句が個人のコントロールに利用され、多様化の文字通りに人々が分断されてしまった世の中で、いったいアートには、そして科学技術にはなにができるのだろうか? 「多様な価値観に埋もれない、より特徴的な個性のある物語が必要だ」という人は多いが、本当にそうなのだろうか? アートも科学技術も、社会も個人も、実は西洋的で均一的な、近代の「Art」や「Science」「Technology」の考え方や方法に囚われすぎていたのではないか?

香港出身の哲学者ユク・ホイは2017年、東洋的な科学技術観から「技術多様性(Technodiversity)」という考えを提唱した。近代における「テクノロジー」は、かつて世界に進出した欧米各国からアジア諸国に植え付けられた、植民地主義的な考え方であった。そうした状況に対してユク・ホイは、雪国には雪国、南国には南国ならではの技術があるように、その地域特有の環境や生活に適合しながら発展してきた「別の」技術の多様性を認める「技術多様性」の重要性を指摘した。この技術多様性なくして、精神の多様性は担保されず、また生物の多様性が維持されることもない。

わずか数十年前の、誰もが同じ夢を見ていられた時代は、その裏側に「同じ」ではない人々を多く生み出し、そして隠蔽、排除してきた。本当の意味で多様性が認められる社会のためには、世界は大きく様変わりしなければならない。これまで社会で当然とされてきた、多くの前提条件を疑うことが求められ、価値観や立ち振る舞いをダイナミックに変化させていなければならない。多様性とは、あらゆる存在、特にマジョリティや強者の価値観が無条件に認められることではない。さまざまな人が自己の存在や価値観について批判的に思い悩み、他者を肯定的に思いやる「クリティカル・ダイバーシティ(批判的多様性)」の時代が到来したのである。

ありえる未来、望ましい未来

かつて両者とも日本で活動し、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートでの活動を経て、現在はニューヨークのパーソンズ美術大学で教員を務めるデザイナーのアンソニー・ダンとフィオナ・レイビーは、「スペキュラティヴ・デザイン」という考え方を提示した。商業的なアファーマティヴ(肯定的)デザインと対峙するこのスペキュラティヴ・デザインは、人々をある方向に、ときに誰かにとって都合のよい方向に向かわせるのではなく、選択できるかもしれない「ありえる未来」を具体的に提示する。それを通じて「選択肢があること」と「選択すること」の狭間を押し広げ、望ましい未来とはなにか、それは誰にとって望ましいのか、ということをスペキュラティヴ(思弁的/思索的)に議論する場をデザインする。

PPPP図『スペキュラティヴ・デザイン 問題解決から、問題提起へ。—未来を思索するためにデザインができること』アンソニー・ダン/フィオーナ・レイビー著 より引用

ダン&レイビーはスペキュラティヴ・デザインについて、「未来を予測するのではなく、現状を揺さぶること」が目的だと語る。デザインが持つ可能性を信じて「ありえる未来」の選択肢をラディカルに提示する、このスペキュラティヴ・デザインのやり方は、複数の理想/多様な夢/矛盾する・不可能なユートピアに関する実験を多数世に生み出しながら、より多様化する社会とアートと科学技術に大きな影響をもたらした。

多様化と分断という二律背反の中で、未来が混迷していく現代。しかし、このグレーな陰影、区分けできない曖昧な領域こそが重要なのだ。だからこそ、いまを生きながらつくられている未来の物語を、仮説/仮設的に描き出し、日々の生活の中で実践していく時代が到来している。大きな物語に沿ったプロパガンダではなく、さまざまな議論を引き起こし、不完全でも悪くはない未来を選択する。完全に多様で幸福な未来はどこにも存在しない。アートであれデザインであれ、科学的な研究であれスタートアップであれ、それは常にまだ見ぬ可能性を含んだプロトタイプであり、常に修正・変更可能な仮説として、社会に仮設しながら使用されていく。未来のビジョンや物語は、曖昧で不完全ないまを、少しでも望ましい未来に向かって選択していくためにある。

100年後の札幌のストーリーテラー

2021年、札幌市の人口は前年比907人の減少となり、戦後初めて減少に転じた。100年の間「成長」を夢見てきた札幌は、大きな転換点を迎えている。「成長」という大きな物語が生み出した、地球温暖化を中心とした環境変化が急速に進行する現在、私たちの目の前にただ広がる持続可能でない世界を、札幌に暮らす私たちはどう捉え、どう変えていくべきなのか。

ここに「100年後の物語」を紡ぐ6組の作家がいる。ここに提示される未来は、小川ディレクターが提示した「生と死」「移動と宇宙探求」「コミュミケーション」「人工知能と統治」「衣食住」 「信頼とコミュニティ」というテーマに沿って語られた、「ありえる未来」のいくつかである。そこにあるアートも科学技術も、作家が取り組む分野も、それぞれの社会背景も異なる。しかし、だからこそ、ここにいるあなたや、あなたの生活とそれぞれの未来が交錯することで、思いがけない相乗効果が生まれるかもしれない。その先に、札幌の未来に影響する変化があるかもしれない。

世界のアーティストの物語と地続きに、私たちの暮らしがある。それは祖先からの物語とも重なり、いまここでなにかが変わり、子孫に引き継がれていく。この「100年後の物語」の先には、もし人類がそれまで生き延びていれば、100年後の札幌があり、いつかの「LAST SNOW」から始まる未来があるはずだ。

文:佐野和哉 監修:久保田晃弘

参考文献

『メディア・アート原論 あなたは、いったい何を探し求めているのか?』、久保田晃弘+畠中実、フィルムアート社、2018
『メディア論―人間の拡張の諸相』、マーシャル・マクルーハン(栗原 裕、河本 仲聖翻訳)、みすず書房, 1987
“Cramming more components onto integrated circuits”, ​​Gordon E. Moore,  Electronics, Volume 38, Number 8, April 19, 1965
『ポスト・モダンの条件──知・社会・言語ゲーム』,ジャン=フランソワ・リオタール(小林康夫訳),書肆風の薔薇,1986
『中国における技術への問い』、ユク・ホイ(伊勢康平訳)、株式会社ゲンロン、2022
『哲学者ユク・ホイ 特別寄稿:2050年、テクノロジーの多元論へ』、WIRED.jp、2023年9月23日、2023年12月12日閲覧 https://wired.jp/article/vol50-technological-pluralism-yuk-hui/
『Rethinking technodiversity』、The UNESCO Courier、2023年3月31日、2024年1月6日閲覧  https://courier.unesco.org/en/articles/rethinking-technodiversity
『スペキュラティヴ・デザイン 問題解決から、問題提起へ。—未来を思索するためにデザインができること』、アンソニー・ダン/フィオーナ・レイビー(久保田 晃弘監修、千葉 敏生訳)、ビー・エヌ・エヌ新社、2015
『人口動態』札幌市、2024年1月6日閲覧 https://www.city.sapporo.jp/toukei/jinko/jinko-dotai/jinko-dotai.html
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